ミッフィーのお父さんを偲ぶ新聞各紙

2017年2月16日、日本ではうさこちゃん、ミッフィー、オランダではネインチェという名前で愛されているキャラクターの生みの親、ディック・ブルーナさんが天に召されました。

その事実は、もちろんここオランダでもいちはやく報道されましたが、日本に住む友人から「すごいニュースになっている」と聞き及び、もしかして、オランダのほうが報道のボリュームは少ないのではないかと思いました。どちらかといえば、元サッカー選手のヨハン・クライフ氏の死亡のほうが衝撃が大きかったように思います。その違いをオランダ人友人に聞いてみました。ディック・ブルーナの死亡は、幼い頃、お世話になったおじさんが亡くなったときいて悲しい気分になるのに対し、ヨハン・クライフはオランダ人としての誇りの象徴を失った喪失感に似ている、とのこと。ヨハン・クライフの時代にドイツに勝利したというのも大きいようです。テレビもヨハン・クライフ特集のほうが多かったように思います。

サッカーはテレビ、絵本は紙という違いもあるからでしょうか。というのも、その週の土曜日、各新聞紙ではディック・ブルーナさんの追悼特集が見開き全面で組まれてました。また、本屋さんに行くと、平積みで追悼コーナーが設けられていました。

4紙を見比べてみました。まず、表紙です。

NRC紙は表紙の扱いがいちばん小さいですが、ページ数はいちばん多いです。Trouw紙はタイトル帯色はディック・ブルーナの色目を意識しているのではと推察します。Het Parool紙は、丸囲みで今注目のTVプレゼンター、ジャーナリストのEva Jinekと並列しているところにユーモアを感じます。3紙が泣いているネインチェを使っているのに対し、AD紙は風船から手を離すネインチェです。風船を手放したネインチェのイラストのほうが、お父さんを失ったネインチェの拠り所のなさを表現しいるように思えます。

では中身を見ていきましょう。

NRC紙のWeekendバージョンです。この新聞紙は、クオリティペーパーとして、de Volkskrant、Trouwに続く全国紙です。左派リベラル系だそう。特集記事に加え、ユートレヒトにあるネインチェミュージアムの前のネインチェ像に献花する子どもの様子が載っていました。

オランダ語は弱いので内容を詳しくお伝えできないのが申し訳ない出のですが、せめて見出しだけでも…。記事の見出しは「ディックブルーナが作ったユニバーサルなシンプルさ」という意味。

1955年の最初のネインチェ(ミッフィー)が印象的です。ディックブルーナは、正面を向いている顔しか描かなかったそうですが(いつも読者を見つめているように)、色々な過程を経てそのスタイルを掴んだのですね。右ページの上に東京からの特派員記事があります。「ディックブルーナ死去のニュースは日本では夜中だったにも関わらず、ツイッターでたちまちトレンドトピックになった」。もともとミッフィーは日本で人気でしたが、2011年の東日本大震災の時にイラストを寄せてくれたことも大きいと思います。記事によると、発刊されているネインチェの本の70%の売り上げは日本だそうです。ちなみに、ミッフィーとして根付いたのは1979年頃だそうですね。

裏表紙に、ディック・ブルーナを偲び、4人のイラストレータから絵が寄せられていました。

泣いている少年の絵を描いたのは、オランダ絵本作家のPhilip Hopmanさん。少年は自分なんでしょうね。

次に、Trouw紙です。同じく左派リベラル系の全国紙です。

見出しは「色の線のグランドマスター」。リード文に「ディックブルーナの絵本がない子ども部屋はない。一貫性のあるミニマリストのパイオニアであり、ブルーナ調をもっていた。ユートレヒトは半旗を揚げている」

中見出しも”シンプルな線が成功への鍵”とあることから、このスタイルを確立したディック・ブルーナの功績を書いているんだと思います(思います、でスイマセン)。また、彼の「文章のリズム」に着目しています。ネインチェの絵本で育ったオランダ人の多くが、以下の4つの文章を1つか2つは覚えているだろうとのこと。

”Nintje was toch zo verdrietig/Nijntje had een dikke traan/Weet je waarom Nijntje huilde?/oma Pluis was dood gegaan”

記事右下は、ネインチェやディックブルーナを回顧する個人的の話が載っていますが、ここでも日本について触れられていました。内容は「日本ではミッフィーとしてネインチェは大人気で、ユトレヒトのネインチェミュージアムでは、英語・オランダ語のみならず、日本からの訪問者のために日本語も用意。日本では、子どものみならず、大人の間でも人気があり、多くの女性が夢中になっている」とあります。

お次はHet Parool紙。アムステルダムを拠点にした日刊紙で、第二次大戦中ドイツ軍に対するレジテンス紙が出発点なんだそうです。

見出しは「トレードマークとしてのシンプルさ」。リード文は「ディックブルーナはズボンよりもスカートを描いた。だからネインチェはメイシェ(女の子)になった。1955年、子どもの絵本業界にセンセーションを巻き起こした」というような内容です。中見出しは「色の線におけるオランダのマスター」とあります。画風について主に触れられているのだと思います(思いますで、スイマセン)。

最後にAD紙です。ロッテルダム拠点の日刊紙で、オランダでも1、2を争う売上を誇っています。「本年度のハーリング、オリボーレンがいちばんおいしい店」を主催することからもわかるように広く読まれている大衆新聞紙です。

見出しは「ミッフィーと一緒に、私たちも孤児になってしまった」。他の3紙に比べて情緒的な見出しです。記事も、”オランダのみんなはネインチェのことを知っていた。みんなはネインチェが好きで、ネインチェもみんなが好きだった”などと、悲しみをたたえた記述が目立ちます。

囲み記事では、4人を取り上げ、ディック・ブルーナ、ネインチェにまつわる逸話を取り上げています。

簡単ではありますが、4紙を見て、ディック・ブルーナの絵というのは、当時は衝撃をもって迎えられたんだろうなと思いました。はっきりした色、ちょっとぼやぼやしていながらも太いはっきりとした線。いつもこっちを向いているキャラクター。オランダもそうですから、日本ではもっと強烈なインパクトがあったのではと思います。そして絵本から飛び出し、キャラとしても愛されて続けています。

ディック・ブルーナさん、安らかに。

 

 

 

2017-02-24 | Posted in Dick Bruna, 街角のくらしNo Comments » 

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