不屈魂のフェスティバル Leiden ontzet -Leiden-

10月2~3日は、ライデンでライデン解放記念日(Leiden ontzet)が開かれます。ライデンにとって特に10月3日は特別な日です。

今を去ること440年ほど前の1574年、ライデンはスペイン軍の包囲から解放されました。当時のネーデルランドは、スペインのフェリペ2世に統治されており、プロテスタントの弾圧などの悪政で市民は苦しんでいました。次々とスペインに反乱する市が立ちあがるなか、ライデンも反乱軍の旗のもと徹底攻勢をはかりました。スペイン軍はライデン包囲を開始、市民は街の要塞に立てこもって抵抗し、降伏するのを徹底的に拒否しました。そして、反乱軍のオラニエ公ヴィレムが水攻めでスペイン軍を追い払うことに成功、10月3日、とうとうライデンの市民は解放されたのでした。

東京にあるオランダ王国大使館でも、ライデン解放記念日を祝います。行ったことがある人の話によると、要塞に立て籠っている中、飢餓に苦しむ市民の命をつないだというハーリングと白パン、ヒュッツポットが出されたそうで、私の頭の中では、大使館主催ということもあって、格調高く解放を祝う日というイメージができあがっていました。

で、10月3日。本場で解放記念日が見られるのだから、行くしかないっ!

ぽーる丼および友達に「解放記念日、行こうよ!」と誘うと、「行くの?!」と口角を片方だけ上げて苦笑い。私が行きたいところにはたいてい微妙なリアクションが返ってきますが、この片方上げ口角付きの苦笑いは、初めてだ。なんなの、そのリアクション。「だって、Leiden ontzet(ライデン解放記念日)でしょ~。あれは、シンプルな人たちが行く祭りだよ~」

え、シンプル? 何のこと?? さっぱりわからん。詳しく説明せよ。

「う~ん、何ていうかなあ。解放記念の行事そのものは、昔からの伝統にのっとって行われるんだけど、Kermisが目玉だからなぁ」

Kermisって何ぞや? 辞書をひくと「移動遊園地」とありました。たいへん語弊がありますが、この解放記念日は、イメージとしては、高学歴ではなく、単純労働に従事しているような人々が子どもを連れて移動遊園地に行き、ビール片手にお祭り騒ぎをする日、というのが説明でした。

きちんと正装してハーリングのしっぽをつかみ、上品に小指をたてながら頭から丸飲みの図を頭に描いてきた者としては、友人たちが言うことがまったく分かりません。嫌がるぽーる丼をひきずって行ってみました。

 

すごい人です! ライデンは度々来ていますが、この混みっぷりははじめて。

噂どおり、街全体が遊園地化しています。

解放記念日の行事を見学しなければ、確かにこれは単なる遊園地。露店もたくさん出ています。

うかつにも伝統行事を見逃してしまい、ライデン解放記念日らしい何かがないものか?ときょろきょろしていたら、同じようなマフラーをしている人がちらほらいます。

ライデン解放記念日を祝う特製マフラーです。調べてみたら、マフラーのみならず、パーカー(真ん中んおじさんが着ている)、傘、ジャンパー、旗、クッションなど、さまざまなものが売られているようです。

16世紀中頃の1568年からオランダは(その頃はネーデルラント諸州で現在の国の形はない)スペインとの80年戦争に突入します。抵抗したナールデンやハーレムなどが陥落し、多くの市民が殺されました。ライデンもスペイン軍に包囲されますが、それらの惨劇を知っているライデン市民は城壁を堅く閉じて抵抗します。立てこもりは6カ月に及び、飢えや疫病で市民の半数が命を落としたと言われています。ライデンを救うべく、反乱軍は堤防を人為的に決壊させることを決意、市民は高台に上ってその日を待ちます。決壊した堤防から水が流れ込み、スペイン軍は撤退、水浸しになったライデンに救援物資が運び込まれ、人々が苦しい籠城から解放されたのです。

事実上の戦闘状態はなかったものの、いつ終わるかもわからない苦しい立て籠りから解放され、食糧を積んだ味方の船を見た時の市民の喜びはいかばかりだったでしょう。勇気をもって諦めずねばり続けた人々は、その日を決して忘れることなく、通常の生活に戻れた後も、10月3日には集まって「あんときゃ、本当に苦しかったよね!俺らがんばったよね」と生き残った喜びを分かち合い、命を落とした人々に思いをはせた違いありません。ライデン市民以外のヒト、旅行者にとっては、移動遊園地が街中にどどーんとあるバカ騒ぎデーにしか見えないかもしれませんが、ライデングッズを身につける市民にとっては、先祖代々からの不屈の魂を今一度思い出す、意味のあるバカ騒ぎなのだと思うのです。

 

 

関連記事

error: Content is protected !!