人々はアメリカを目指した Hotel New York
ロッテルダムに降り立ちます。ここには独特の空気感があります。オランダの他の街では古い建物と現代の空気がとけあい”今”を表現していますが、ロッテルダムでは歴史という覆いのそこかしこに穴があって、そこからエネルギーが放出されている感じなのです。常識や世間体で行動するオトナなんてつまらんっ!プライドってなんぼのもんじゃー。ここでいう”オトナ”はアムステルダム。アムステルダムへの対抗意識は東京VS大阪の比ではありません。
- ロッテルダム中央駅
- 船のマストを模したような形が印象的
南にトコトコ下ります。
中心街もガサガサしていますが、川が近くなると港特有のガサガサ感に変わってきます。海から漂う開放感、ちょっと荒っぽい空気。ロッテルダムに来る度に、香港にいるような気がします。街の風景は全く違うのに。ニューウェ・マース川にかかるエラスムス橋を渡ります。
- エラスムス橋
- 対岸に見えるユニークなビル群。中央は建築家レム・コールハースによるDe Rotterdam
- エラスムス橋、歩いて渡れます
がらんとした場末の埠頭感がいっそう漂います。そんな埠頭にポツンと建つ建物。それがホテル・ニューヨークです。
オランダにニューヨーク。唐突な感じですが、このネーミングには歴史があります。この建物の前身はHolland America Lijnというクルーズ会社です。アメリカのシアトルが本拠地で、今でも操業しています。今から約140年前の1870年、この会社の母体となる合弁会社C.V. Plate Reuchlin & Companyが設立されます。会社設立までの経緯がまたおもしろい。その当時、海運の中心はもっぱらアムステルダムでした。マース川は底が浅く、ほとんどの船はロッテルダム港に入ることができなかったのです。オランダ政府もアムステルダムで十分じゃんということで、ロッテルダム港の開発には消極的でした。ロッテルダムからの強い要望にようやく中央政府も重い腰をあげ、マース川と北海を結ぶ水路をつくり、大型の船が直接ロッテルダムの港に入港することが可能になりました。そんな頃、ロッテルダムの企業家が合同出資してC.V. Plate Reuchlin & Companyを設立したのです。
- Holland America lijnという名前が見えます
C.V. Plate Reuchlin & Companyは、アメリカのニューヨークとロッテルダムを航行する定期便を開始、1872年の10月、この埠頭から初めての船がニューヨークに向けて出航しました。アメリカ大陸に向かう船を埠頭で見守りながら、ロッテルダム企業家は胸を熱くしたのではないでしょうか。 「アムステルダムに勝った!」。そして乗客も、15日後に目にするであろう新天地アメリカに胸が高鳴るのをおさえられなかったはずです。
C.V. Plate Reuchlin & Companyは Nederlandsche-Amerikaansche Stoomvaart Maatschappijに名前をかえ、Holland America lineとなり、1997年に本社をロッテルダムからシアトルに移します。残された本社ビルがホテルに生まれ変わってオープンしたのは1993年のことです。
- レセプション
オフィス仕様だったからか妙に無機質なれど、歴史を感じさせます。オランダいちの港湾都市をめざず当時のロッテルダムの象徴だったのでしょうね。
- カフェ・レストラン
- 天井のゴツさと壁と廊下の色合い、さりげないアート展示。ここら辺のセンスがすごい
歴史がある建物は、一歩足を踏み入れると漂う空気に思わず息をのみますが、このホテルにも独特の時間が流れていました。レセプションにある鉄の階段がとくにきれい。ロッテルダムの中心からちょっと歩きますが、訪れてみてください。夏ならテラス席でアメリカに移民する人々を運んだ河口を眺めながらのお茶も楽しめます。ただし、混みあうことが多いので、時間には余裕をもって。